坂本龍馬、大河ドラマでお馴染み、日本を代表する有名人といえるほどの人気です。
けれど、幕末当時は一般にはさほど知られていなかった存在であったとも語られています。ではなぜ今それほどに脚光を浴びるのか、坂本龍馬に注目です。
なるほど、日本を代表する英傑、幕末という時代の寵児、『坂本龍馬』の伝説、人となりのご紹介です。
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幕末の志士、坂本龍馬
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天保六年(1835年)11月15日、土佐藩士(郷士)坂本八平直足の次男として誕生。奇しくもこの日は龍馬が暗殺された日でもあります。
実業家としての側面も併せ持つ幕末の志士。土佐藩を脱藩後、貿易会社と政治組織を兼ねた亀山社中、後の海援隊を結成しています。
薩長同盟の締結に尽力。新たなる国家を構想し、新政府に向けた『船中八策』を提示、大政奉還の成立に関わっています。
けれど、大政奉還成立の1ヶ月後に京都で志半ばにして暗殺されました。
経歴
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- 天保6年(1835) 11月15日、坂本長兵衛の次男(五人兄弟の末っ子)として誕生
- 嘉永元年(1848)、小栗流(剣術)、日根野道場に入門
- 嘉永6年(1853)、江戸に遊学。ペリー、黒船来航を目の当たりにします。
- 文久元年(1861)、土佐勤王結成、翌文久2年加盟
- 文久2年(1862年)土佐藩を脱藩。
- 文久3年(1863年)、勝海舟の私塾に入門。勝海舟の下で海運力と海軍力を学びます。
- 元治元年(1864)、池田屋事件(長州藩・土佐藩の尊王攘夷派志士を新選組が襲撃)勃発。
- 慶応元年(1865年)、貿易会社と政治組織を兼ねた亀山社中結成。
- 慶応2年(1866年)、長州藩と薩摩藩の仲介を務め、薩長同盟を成立。 その2日後幕吏の奇襲に遭遇(寺田屋事件)。おりょうの機転で難を逃れます。
- 慶応3年(1867)、4月、亀山社中を「土佐海援隊」に改編。隊長に就任。6月四侯会議に向けての政治綱領「船中八策」を提示。10月14日、将軍慶喜、大政奉還 11月15日、京都近江屋において襲撃を受け死亡。
享年33歳。暗殺したのは、現代では大政奉還に反対する松平容保(京都守護職)傘下の京都見廻組であるとみられていますが、当時は新撰組が実行犯だと思われていたようです。
幼年期
龍馬の名の由来は、龍馬が生まれる前の晩、母親が龍が天を飛ぶ夢を見、それにちなんで龍馬と名づけられたとか。幼い頃の龍馬の背には怪毛があったとも伝えられています。
幼少の頃は気弱な少年。「弱虫」で「泣き虫」、12歳〜13歳の頃まで「寝小便」の癖が続き、漢学の塾ではいじめられ、退塾。以降三姉の乙女に武芸や学問を学びました。
容貌
当時としては大柄な体格、当時の男性の平均身長が155cm程度であった時代、龍馬は遺された紋服から身長は173cm以上、体重は80kg以上と推定されます。
現存する龍馬の写真は龍馬自身のもの。その写真では頭髪が薄くなっている(梅毒で禿げたという説も)、髪質は縮毛だったことが伺えます。
性格
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新しい物好きで、最新式の拳銃を携帯し、ブーツを履いた写真も残っています。
妻・おりょうと日本で最初の新婚旅行をしたことも有名な逸話。
筆達者であったことも知られ、筆写されたものも含めた現存する龍馬の手紙は、約130通あるといわれています。
女性関係と妻おりょう
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坂本龍馬の女性関係については、多くの女性との関係が浮上しています。龍馬の初恋の人土佐勤王党幹部・平井収二郎の妹平井加尾、江戸遊学中恋仲になった千葉さな子、その他に、高知の漢方医の娘お徳、公家の腰元お蝶、長崎の芸妓お元、京都の旅宿の娘お国など。ただし真偽については不明。。。
おりょう(楢崎龍)
京都の医師の長女。龍馬はおりょうを元治元年ごろに見初め、同年に祝言を挙げた、いわゆるスピード婚。家族に宛てた手紙に「まことにおもしろき女」と評しています。
慶応2年(1866年)1月の寺田屋遭難の際に、おりょうの機転により危機を逃れた話は有名。寺田屋事件に合った同年3月から6月、龍馬はおりょうを伴って薩摩へ下り、療養のために各地の温泉を巡っています。これが坂本龍馬が日本で最初に行った人となる「新婚旅行」。
名言
- 日本を今一度せんたくいたし申候
- 世界の海援隊でもやりますかな
- 世の人は我を何とも言わば言え、我が成す事は我のみぞ知る
- 義理などは夢にも思ふことなかれ、身をしばらるるものなり
- 恥といふことを打ち捨てて世のことは成るべし
- 丸くとも一かどあれや人心、あまりまろきはころびやすきぞ
- 何の志も無きところに、ぐずぐずして日を送るは、実に大馬鹿者なり
- 事は十中八九まで自らこれを行い、残り一、二を他に譲りて功をなさむべし
- 時勢に応じて自分を変革しろ
どれを取っても肝に銘じる言葉、名言であると思います。坂本龍馬、さすが、の人物なのですね。
海援隊(亀山社中)
亀山社中、後の海援隊は商業活動に従事する、近代的な株式会社に類似した性格を持つ組織。
成立の目的には商業活動によって利潤を上げることのほかに、薩長両藩和解の目的も含まれており、その後の薩長同盟成立に貢献することになります。
慶応3年、亀山社中は「海援隊」と改称。土佐藩の援助を受けて、海軍と商業をかねたような組織として活動。土佐藩士や藩の脱藩者、海外事業に志を持つ者をもって、運輸・交易・開拓・投機に従事します。
海援隊の資産等は土佐藩から土佐商会の主任と長崎留守居役後の三菱グループの創業者岩崎弥太郎へ引き継がれ、三菱グループの原型となっています。
船中八策
新政府に向けた構想『船中八策』とは
天下ノ政権ヲ朝廷ニ奉還セシメ、政令宜シク朝廷ヨリ出ヅベキ事(大政奉還)
上下議政局ヲ設ケ、議員ヲ置キテ万機ヲ参賛セシメ、万機宜シク公議ニ決スベキ事(議会開設)
有材ノ公卿諸侯及ビ天下ノ人材ヲ顧問ニ備ヘ官爵ヲ賜ヒ、宜シク従来有名無実ノ官ヲ除クベキ事(官制改革)
外国ノ交際広ク公議ヲ採リ、新ニ至当ノ規約ヲ立ツベキ事(条約改正)
古来ノ律令を折衷シ、新ニ無窮ノ大典ヲ撰定スベキ事(憲法制定)
海軍宜ク拡張スベキ事(海軍の創設)
御親兵ヲ置キ、帝都ヲ守衛セシムベキ事(陸軍の創設)
金銀物貨宜シク外国ト平均ノ法ヲ設クベキ事(通貨政策)
明治時代の「五箇条のご誓文」の基となっています。
坂本龍馬を語るのはやはり大河ドラマが本流?
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「西郷どん」2018年の大河ドラマ。坂本龍馬役を演じるのは名優との評価も高い小栗旬。鈴木亮平演じる西郷と出会い、互いの存在を認め合う存在になってゆきます。
「刀剣乱舞」刀剣男士『陸奥守吉行』として登場。『陸奥守吉行』は田舎臭さは抜け切らないけれど新しいもの好きな、坂本竜馬が佩刀していたとされる打刀。
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『Fate/GrandOrder』での坂本龍馬は「Fate/KOHA-ACE 帝都聖杯奇譚」においてアサシンに襲撃された桜セイバーを助ける形で登場。軍服姿、常に巨大な龍となる謎の女性「お竜」を伴っています。
坂本龍馬まとめ
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坂本龍馬とは、周囲に好かれ、周囲を和ませる、男前な性格。スケールが大きく、大志を抱く英傑。そんなイメージを持ちます。で、何をした人かと問われたら、ん〜〜、と考えてしまう。
正直言うと、大河ドラマを見終わってもイマイチ何を成し遂げたのかがよくわからない。
けれど、坂本龍馬の残した名言などはもっと脚光を浴びても良いと思います。
- 義理などは夢にも思ふことなかれ、身をしばらるるものなり
- 恥といふことを打ち捨てて世のことは成るべし
- 丸くとも一かどあれや人心、あまりまろきはころびやすきぞ
実践できそうで凡人には難しい、こんなセリフが出てくること自体、スゴイ、っす