多くの英雄を生み出した幕末。その時代でまず思い浮かぶのは、やはり『新撰組』。映画や大河ドラマ、アニメやゲームの世界でも取り上げられる人気です。
けれど一方で「人斬り集団」や、新政府下では「賊軍」ともされる剣客集団でした。
今回は『新撰組』とはどのような組織であったのかを探ってみたいと思います。
『新撰組』の光と闇とは、ご覧ください。
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『新撰組』とは
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幕末、徳川幕府から政権を皇帝へ返還すべきという動きが高まった時代。徳川幕府は京都の尊王攘夷・倒幕運動の志士を、所司代と町奉行だけでは取り締まれないと判断。明治維新の火付け役となった清河八郎による献策で「浪士組」なる組織が誕生しました。
当時は「京都見廻組」なる幕臣(旗本、御家人などの武士)で構成された正規組織も存在していました。これに対し、新選組は町人や、農民、浪士などで構成された「会津藩預かり」という、京都守護職の会津藩庇護の非正規組織。前身である壬生浪士組24名から発足しています。
不逞浪士や倒幕志士の捕縛、京都の街の警備、反乱の鎮圧などを任務としていました。
けれど、その運営については、商家から強引に資金を提供させたり、隊の規則違反者を次々に粛清、内部抗争など、様々な問題点もあったと伝えられています。
『新撰組』の変遷
「壬生浪士組」
・1863年(文久3年) 徳川幕府は将軍徳川家茂の上洛の警護のため、参加に身分・年齢を問わない「浪士組」を組織。近藤勇や土方歳三・沖田総司ら剣術道場『試衛館』の門下生や、芹沢鴨などが参加。その後会津藩の所属となり「壬生浪士組」となります。
当時の「壬生浪士組」は、会津藩から京の市中警備及び不定浪士の取り締まりを命じられます。この頃の彼らは身なりが貧しかったため、「みぼろ」などと揶揄されていたいたといいます。
「新撰組」の誕生
・1863年8月 会津藩と薩摩藩が長州藩を京都から追放した「八月十八日の政変」への関与。
この功績によって、「新撰組」という名が誕生します。
けれどこの頃、隊内は局長を務める、芹沢と近藤の派閥に分断。
・1863年9月 芹沢鴨が乱暴狼藉を繰り返したことも原因して、近藤勇と対立していた芹沢鴨を会津藩の命令によって暗殺。名実共に近藤勇率いる「新撰組」の誕生となります。
池田屋事件
・1864年6月 「池田屋事件」、御所の焼き討ちを計画していた尊王攘夷派志士を旅籠『池田屋』において捕獲。9名を討ち取り、4名を逮捕。
その後8月には禁門の変の鎮圧にも参加しています。
幕臣となる
・1867年6月 それまでの活動が認められ、『新撰組』組員全員が正式に江戸幕府の家臣となります。
壬生村の屯所も西本願寺へ移転。組員も200人という数にまで増えていました。
『新撰組』の衰退
1867年(慶応3年)徳川慶喜による大政奉還。そして王政復古、新政府と旧幕府の対立。
・1868年1月 鳥羽伏見の戦いに幕府軍として参戦、新政府軍と戦い敗北。
・1868年4月 新政府につかまった局長、近藤勇処刑。
・1869年5月 土方歳三、函館戦争で戦死。
まもなく旧幕府軍は降伏、戊辰戦争が終結、新撰組は解散します。
『新撰組』主な組員
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歴代局長 芹沢鴨・近藤勇・新見錦
総長 山南敬助
参謀 伊東甲子太郎
副長 土方歳三・山南敬助・新見錦
組長・組頭 ・一番組組長 沖田総司/・二番組組長 永倉新八 /・三番組組長 斎藤一 /・四番組組長 松原忠司 /・ 五番組組長 武田観柳斎 /・六番組組長 井上源三郎 /・ 七番組組長 谷三十郎 /・ 八番組組長 藤堂平助 /・ 九番組組長 鈴木三樹三郎 /・十番組組長 原田左之助
資格
年齢・身分不問。志がある健康な男子
規則
組員は屯所での集団生活です。既婚者は妻子を壬生の屯所から10里(約40km)以上離れた場所に住まわせること。昇進すれば、家を持ち、妻子や妾を迎えることが許されました
「局中法度」
隊規は厳格に運用され、違反した組員は粛清されました。
一、士道ニ背キ間敷事
(武士道に背く行為をしてはならない)一、局ヲ脱スルヲ不許
(新撰組からの脱退は許されない)一、勝手ニ金策致不可
(無断で借金をしてはならない)一、勝手ニ訴訟取扱不可
(無断で訴訟に関係してはならない)一、私ノ闘争ヲ不許
(個人的な争いをしてはならない)
右条々相背候者切腹申付ベク候也
(以上いずれかに違反した者には切腹を申し渡す) ウィキペディア
待遇
給与は局長50両、副長40両、副長助勤30両、平隊士10両(当時の1両の価値は約50.000円〜75.000円といわれています)
つまり、局長で月給約2.500.000円〜3.750.000円、平隊士で500.000円〜750.000円ということになります。
命を懸けた任務であることを思えば高いか、安いかははてなマーク?
『新撰組』語り継がれる幕末の志士たち
「壬生義士伝」著者浅田次郎。新撰組隊士「吉村貫一郎」を主人公とした時代小説。2013年には滝田洋二郎監督、主演:中井貴一、斎藤一:佐藤浩市によって映画化されています。
手塚治虫の『新撰組』
ストーリー
剣の腕を磨き、父の仇をうつため「新選組」に入隊した少年・深作丘十郎。幕末を舞台に、親友・鎌切大作や新選組隊士たち、そして坂本龍馬との出会いを経て成長する丘十郎の姿を描いた歴史ドラマです。 公式サイト
『新撰組』まとめ
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筆者は自警団なるものにあまり良い印象を持っていません。自分たちの正義を強いる暴力集団、なるもの、っという感じ。
そしてたくさんの人が集まれば、中にはただ「金のため」「暴れたい」といった自分本位な目的のために加わる人も少なからずいるはず。そんな人たちを束ねるのは「力」。良い結果が生まれるはずもないようにも思います。
それでも、『新撰組』において、志を持って命を懸け、散っていった人たちも間違いなく存在していたのだろうと思います。
そして、『新撰組』が武士道精神を尊ぶニッポンを代表する組織であったことは間違いありません。
やっば、かっこいいです。