新撰組でまずイメージするのはやはり沖田総司。
色白で小柄、なのに凄腕の剣豪。
華々しく最期を遂げる幕末の志士の中で、ひとり病に侵されて無念の死を遂げる、生き様さえ美形。
その沖田総司の生涯を辿ります。
壮絶、その一言に尽きる沖田総司の実像とは
沖田総司、新撰組随一の剣豪
沖田総司、新撰組副長助勤にして一番組長。新撰組随一の剣豪。
その腕は近藤勇にして「宗家5代目を襲名させたい」と言わしめるほどであったとか。
無邪気で天真爛漫な性格、剣豪であるにも関わらず、仲間内に一人前の大人として扱われないことに不満を持っていたと伝えられています。
局長であった芹沢鴨を慕い、だからこそ己が手で殺めなければならないと覚悟、暗殺を志願。
その後も組友山南敬助の粛清、池田屋事件、禁門の変の鎮圧など、数々の任務を果たします。
病、労咳(結核)の発覚後も任務のための鬼と化してゆくことになります。
けれど大量の吐血後は近藤勇の妾、お孝の看病のもと療養生活に入ります。
大政奉還後は千駄ヶ谷の植木屋平五郎宅に匿われていましたが、刺客に襲われ、お孝は斬殺。
刺客を返り討ちにますが吐血し昏倒、永眠。帰らぬ人となります。
沖田総司略歴
沖田 総司(おきた そうじ)
本姓は藤原、諱は春政、後に房良。
幼名は宗次郎。陸奥白河藩士・沖田勝次郎の長男として生まれます。
生年については天保13年(1842年)夏、又は15年(1844年)夏という2つの説があリます。
🔳 9歳頃、天然理心流の道場「試衛館」の内弟子となり、近藤勇、土方歳三とは同門。若くして試衛館塾頭を務めます。
🔳 文久3年(1863年)、浪士組結成に参加して上洛。新選組結成後は一番隊組長就任。
一番隊は多くの剣豪が在籍する新選組の中で、常に重要な任務を果たしています。
🔳 文久3年(1863年)3月、殿内義雄を初めて斬殺。
同年9月、芹沢鴨暗殺。
元治元年5月、大坂西町奉行所与力・内山彦次郎暗殺。
🔳 元治元年(1864年)6月、池田屋事件参戦。この奮戦の最中、喀血により戦線離脱。けれど翌月、禁門の変に同行しています。
🔳 慶応元年(1865年)、兄と慕っていた総長の山南敬助脱走。追っ手として捕らえ、山南は沖田の介錯で切腹。
🔳 慶応3年(1867年)、体調の悪化により第一線を退き、以後は千駄ヶ谷の植木屋に匿われ療養。
🔳 慶応4年(1868年)、近藤勇斬首から2ヶ月後に死去。
近藤の死を知らないまま亡くなっています。
辞世の句は「動かねば 闇にへだつや 花と水」。
享年については、沖田家累代墓碑には24歳、沖田家文書には25歳、『両雄士伝』小島鹿之助著では27歳と記されています。
容姿
病に侵された、人当たりの良い天真爛漫な性格、にも関わらず剣豪であることから、モテキャラ「薄幸の美青年」をイメージさせる要素は充分。
ただし、巷に出回る(このサイトで使用しているものも含め)沖田総司の写真は全て偽物であるとか。
「色黒のヒラメ顔」という説もありますが、沖田家の子孫には「色白・小柄」であったと伝えられているようです。
性格
天真爛漫で、子供好き、人当たりがよく、よく笑う明るい性格。
ただし、剣術においては厳しい性格に変貌。
教え方も荒っぽく、教えを受ける者を叱咤することもしばしばあったとか。
任務の執行にあたっては非情。
剣術
9歳で天然理心流に入門。
15歳で4代目を継ぐ近藤勇より優れていると評価されていました。
天然理心流の他、北辰一刀流の免許皆伝も取得。
新撰組においては日本刀を刺突に用いたことで刃こぼれすることなく多数の敵と応戦。
得意技は「三段突き」。三度突きを繰り出す様が、一本の突き技に見えたといいます。
愛刀は「加州清光」、「大和守安定」。「加州清光」は池田屋事件の際に使用したと伝えられています。
沖田総司はまんま沖田総司。現代でもメジャー、凄腕のモテキャラ
新選組を題材にした恋愛乙女アドベンチャーゲームとアニメ「薄桜鬼 」。
幕末、文久三年、蘭学医の娘雪村千鶴は男装して新撰組とともに行方不明の父親を探すことになります。
沖田総司は労咳を患った一番隊組長。
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「銀魂」では沖田総悟。
外見とは裏腹に腹黒、毒舌、ドS。真選組副長の座と土方の命を狙い、土方に「サディスティック星から来た王子」と称されています。
剣の腕前は、真選組随一。
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出典:pixiv
『るろうに剣心』の瀬田宗次郎は沖田総司がモデル。十本刀の一人、志々雄の右腕、剣心に匹敵する剣豪。
天賦の剣才(略して「天剣)」に、「楽」以外の感情がなく剣気や殺気の類を全く発しない「感情欠落」、
目にも映らない超神速の移動術「縮地」を成し得る十本刀最強の剣客。 人当たりは良いが平然と人を殺す残酷さを持ちます。
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沖田総司 まとめ
沖田総司の生涯を見ると、「銀魂」での沖田総悟や「るろうに剣心」の瀬田宗次郎のように、平然と人を殺めるサディストのようにも見えます。
けれど、師と慕う芹沢や兄と慕う山南を自らの手で殺め、己が自身も死の影に怯えなければならない。
時代は幕末、時代を支える礎になるという使命感の中で燃え尽きた。
沖田総司もまた時代の流れに翻弄された勇者であったことは間違いないように思います。