酒呑童子、大嶽丸と並ぶ日本の三代妖怪のひとり玉藻前(たまものまえ)。九尾の狐の化身にして中国「殷」の時代には妲己となり、悪の限りを尽くしたとされています。
その末路は殺生石となって今もどこかで蘇生される日を待ち望んでいるのかも。
一説には「愛されたい」悲しい女心があだした化身だとも伝えられる玉藻前、その末路とは。。。
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いにしえより様々に描かれる妖怪九尾の狐、玉藻前(たまものまえ)
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玉藻前は酒呑童子、大嶽丸と並ぶ三大妖怪のひとり。正体は九尾の狐、かつての中国では「妲己」傾国の悪女としてその名を知らしめた存在としても伝えられています。
九尾の狐が「妲己」、そして「玉藻前」になるまで
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九尾の狐は古代中国の王朝「殷」「紂王」の妃「妲己」として世にあらわれます。一説には当時の王の妾であった寿羊という娘を食い殺し、その身体を乗取ったとも伝えられています。
王と妃は非道の限りを尽くし、そのため周の武王によって国は滅びます。そして王と妃は捕らえられ処刑されることになります。その際、妲己の妖術によって処刑人がまどわされたため、太公望が照魔鏡を用いてその妖術を防ぎます。九尾の狐が本性を表したところを宝剣によって狐の体を三つに分断、裂かれた身体の部位は空に飛散したと伝えられています。
その後、天竺のマガダ国の妃華陽夫人となって多くの人を惨殺し、ジーヴァカ(耆婆)にその正体を暴かれ薬王樹で作った杖で打たれ、九尾の狐となって飛び去ります。その後も周の12代目の王の妃となって現れた、という言い伝えも残されています。
日本へは「若藻」という少女となって奈良時代の公卿、吉備 真備(きびのまきび)の遣唐使船に便乗し到来しています。
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玉藻前の伝説は室町時代の史書『神明鏡』や御伽草子『玉藻の草子』、能『殺生石』として語り継がれます。けれどその正体は二尾の妖狐。九尾の狐の化身となったのは江戸時代、高井蘭山の『絵本三国妖婦伝』や 岡田玉山の『絵本玉藻譚』によって殷の妲己とも関連づけられてゆきます。
一説には玉藻前は鳥羽上皇の寵妃、保元の乱・平治の乱の原因となった美福門院(びふくもんいん)得子がモデルであるとも伝えられています。
玉藻前の末路
『絵本三国妖婦伝』では玉藻前は子に恵まれない夫婦によって育てられた「藻女(みくずめ)」という美しい少女。18歳で宮中にあがり、鳥羽上皇に仕える女官となった後、鳥羽上皇の寵愛を受け、「玉藻前」と呼ばれるようになります。
「玉藻前」はその美しさもさることながら、その博識によって上皇の寵愛を一身に受けることとなってゆきます。
けれどその頃から上皇は次第に病に伏せるようになります。その原因が陰陽師・安倍泰成によって玉藻前であることを見抜かれ、玉藻前は九尾の狐である本性を表し、逃走し行方を眩まします。
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その後、九尾の狐が那須野に現れたことを受けて、三浦介義明、千葉介常胤、上総介広常、陰陽師・安部泰成らが討伐に向かいます。そしてついに三浦介の射った矢と上総介の刃によって九尾の狐は息絶えます。
けれどその後、九尾の狐は巨大な毒石『殺生石』と化します。この『殺生石』は鳥羽上皇崩御の後も近づく生き物の命を奪う妖力を放ち続け、周囲の人々を恐れさせていました。
南北朝時代になって会津の元現寺を開いた玄翁和尚が殺生石を破壊、そのかけらは各地へ飛散。
そのかけらのひとつは現在も栃木県那須町に残り、観光スポットのひとつとなっています。
現代では正義の味方? 玉藻前
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「Fateシリーズ EXTRA 」の玉藻前は狐の耳と尻尾を持つ半人半獣のサーヴァントのひとり。一目惚れした主人公には献身的に尽くしますが本性は腹黒で残忍。
陰と陽が交差する平安の世界を描くソーシャルゲーム「陰陽師」でも可愛いギャル。酒呑童子や大嶽丸とともに、高火力アタッカーの式神として登場しています。
玉藻前 まとめ
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玉藻前が大変な博識であったことが興味深いところ。
クレオパトラも楊貴妃も知性や豊かな才能の持ち主。妲己も嵐の中戸惑う人の中で凛とした姿が王の心を射止めたのであるとか。
やっぱり、たとえどれほどの美女でも、ただ綺麗なだけでは長くは人の心を繋ぎとめることはできないのかもしれません。
自分に磨きをかけるなら外見と同じほどに個性を磨く必要アリ、ですよね。