クリスマスとはイエス・キリストの生誕を祝う日。この日世界中の人々がイエス様が生まれたことを喜んでいます。
そこで今回はクリスマスにふさわしく、イエス・キリストに注目です。
キリストの生誕、宣教、処刑され、復活、天へ召されるまでの生涯。
そして残された言葉が放つ影響力も実感したいと思います。
目次
救世主イエス、イエス・キリストとは
イエス・キリストは紀元前4年~紀元後30年頃に実在したとされるキリスト教の始祖。
キリスト教においてのイエスは「神の子が人となった、真の神であり、真の人である救い主」
パレスティナ・ナザレに生まれたと多くの歴史家が著作の中で言及しています。
「キリスト」とは救世主を意味し、「イエス・キリスト」とは「救世主であるイエス」
イエス・キリストという呼び方そのものが「イエスを救世主と認める」ことを意味します。
神の子、神と同一の者として、世界で最も多くの人々から崇拝される存在です。
イエス・キリストの名
「イエス」という名はイスラエルの神とその子孫である民に繋がる名、ヘブライ語でヨシュア・イェホシュア(Yehoshua)、アラム語でイェシュア(Yeshua)。
これがギリシア語でイイスス「イェースース」᾿Ιησοῦς (Iêsoũs)となり、英語でジーザス(jesus)、日本語のイエスとなります。
本来は「神(ヤハウェ)は救いなり」を意味し、当時のヘブライ人の名前としては多く、他の者と区別するために出身地である「ナザレのイエス」と呼ばれるようにもなります。
「キリスト」の名は救世主を意味する語。古代ギリシア語でクリストス(Khristos)。ヘブライ語でマシーアハ(mashiah)メシアと言い、「聖油を注がれしもの」(神聖で特別な存在)を意味し、これが「救い主」と解釈されます。
イエスの生涯
イエス・キリストはパレスチナ・ナザレの大工ヨセフと妻マリアの子として生まれました。
福音書によれば、すでにヨセフの婚約者であったマリアは、結婚前に聖霊によって懐妊。
天使の御告を受け、ヨセフはマリアを妻とし、男の子が生まれます。
男子はベツレヘムの廐(うまや)の中で生まれ、ヨセフはその子をイエスと名づけます。
正確な誕生日は不明、その後の幼年期についても詳細は不明とされています。
30歳のごろ、イエスはヨルダン川のほとりを訪れ、ヨハネの洗礼を受けます。
ヨハネは「洗礼は悔い改めた者に対する神の赦しの確証」とする洗礼者。
イエスはその後御霊によって荒れ野に送られます。そして、40日の間何も食べず、悪魔の誘惑を受けることになります。
荒野での試練の後、イエスはパレスチナの地で宣教を開始。
ガリラヤの野で、貧しき者、病苦に苛まれる者達に多くの奇跡を行ない、神の国の近いことを説きます。
イエスはまた、弟子の中の12人に悪霊を払うための権能を授けます。
彼らは「十二使徒」
- シモン・ペトロ
- ゼベダイの子ヤコブ
- ヨハネ
- マタイ
- トマス
- タダイ
- アルファイの子ヤコブ
- アンデレ
- バルトロマイ
- 熱心者のシモン
- フィリポ
- イスカリオテのユダ
けれどイエスは既存の宗教からの妬みを受け、弟子のひとりイスカリオテのユダの手引きで、衆議会の裁判にかけられることになります。
イエスは自らを「ユダヤ人の王」「神の子」「メシア」であると自称した罪により、当時の政権を「冒涜」したか否かを問われます。
イエスはそれを否定することなく、逆に彼らの怒りをかう発言をおこない、死刑の判決。
ゴルゴタの丘で磔刑に処せられます。
享年33歳、イエスは十字架にかけられたまま死亡。
死後、埋葬されたイエスは3日目に復活。
肉体をもった者として弟子たちの前に現れたと聖書の各所に記されています。
イエスの宣教
イエスの教えはとくに当時の社会的な弱者に対し、「貧しきものは幸いである。神の国は彼らのものである」「敵を愛し、自らを迫害するもののために祈りなさい」「明日を思い悩むなかれ」と説いています。
イエスの伝道は、神の国が近いことを説き、社会的・精神的な弱者の味方となって、迷える子羊を心身ともに救済するもの。神や隣人への愛や相互の思いやりを持って、精神の救いを求めるものであると教えられています。
イエスの信仰、新約聖書と十字架
イエスは処刑の三日後、自身の予言通りに復活。信者や使徒たちの前に現れた後、天に還ります。新約聖書の一書『使徒行伝』では、復活してから昇天するまでの期間は40日であったとされています。
復活を確信した弟子たちはイエスをメシア(救世主)と崇め、ここにキリスト教の信仰が始まります。
イエスが昇天した後、ペテロやパウロなどの弟子たちによって彼の言行が伝承され、後の「新約聖書」となります。
イエスは十二使徒のひとり、イスカリオテのユダが銀貨30枚でイエスを裏切ったために、十字架に掛けられて処刑されています。
これは、イエスが十字架に架けられ、「人の罪を贖う」ためにこの世を去ることを意味します。
これによって、十字架は(処刑具ではなく)イエスの贖罪を示すものとなって今日に至っています。
イエスの名言
- 人はパンだけで生きるにあらず。
- 心の貧しい人たちは、幸いである、天国は彼らのものである
- 人を裁く事なかれ。己が裁かれないためである。
- 右の頬を打たれたなら左の頬を差し出せ
- あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい
- 求めよ、さらば与えられん。尋ねよ、さらば見出さん。門を叩け、さらば開かれん
- 狭い門より入れ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。
- 自分を愛するように隣人を愛せよ
現代でも変わらない キリスト様
『ジーザス・クライスト・スーパースター』1971年にブロードウェイで初演、イエス・キリストの最後の7日間を描いたロックミュージカル 。
ーーーーーーーーーー
『サン・オブ・ゴッド』2014年放映。
イエス・キリストの誕生から復活までを聖書に忠実に描き、話題を呼んだテレビシリーズ「ザ・バイブル」を基にしたドラマ。イエスの十二使徒のひとり、ヨハネを語り手に、イエスがたどる波乱の生涯を歴史と政治の側面から解明し、その知られざる一面にも迫る
1964年公開「奇跡の丘」、処女懐胎から復活まで、イエスの生涯を忠実に描いた名作。ヴェネツィア国際映画祭・審査員特別賞、国際カトリック映画事務局賞、受賞。
ーーーーーーーーー
その他、1925年公開の「ベン・ハー」2006年の「ダ・ビンチ・コード」など、イエスは名画の中の様々な角度から描かれています。
ーーーーーーーーーー
イエス・キリスト まとめ
昔、オードリー・ヘプバーンの『尼僧物語』という映画を見ました。
憎悪や愛情といった人間の感情を捨てきれないために僧院を去った尼僧の物語であったように思います。
その最後のシーン、ヘプバーンが僧衣を脱いで裏門から去ってゆきます。僧衣を脱いだことで、それまで神々しかった姿が、只の人間に戻ってしまったことの見事に存在感が削がれてしまった姿が印象的でした。
けれど、自分がもし「右の頬」を打たれたとしたら。
「左の頬」を差し出せるような人間にはとてもなれそうにもないし、正直、なりたいなんでことも、とても思えそうにありません。
もし、そんな人間に出逢ったら、正直、不気味です