
ピーテル・パウル・ルーベンス作「法悦のマグダラの聖マリア」
マグダラのマリアでまずイメージするのはイエスの妻になった元は娼婦。
『ダヴィンチコード』の結末が印象に残ります、
けれど、本当のところはどうなんでしょう?
そこで、マグダラのマリアの伝承を探ります。
意外な実像が垣間見えるのか、
マグダラのマリアに注目です
目次
マグダラのマリア、イエスを支えた使徒

ヴィクトル・ヴァスネツォフ作(19世紀ロシア)
マグダラのマリアとは

カルロ・クリヴェッリ作(15世紀)「マグダラのマリア」
マグダラのマリア(Maria Magdalena)は、新約聖書の中の4つの正典とされる福音書(マタイ、マルコ、ヨハネ、ルカ)で語られる、イエスと共に旅をした、イエスの女性信者の中で最も重要視される存在。
『聖人』のひとりとされます。
- イエスによって七つの悪霊から解放され
- 磔(はりつけ)にされたイエスを見守り
- その埋葬を見届け
- 復活したイエスに最初に再会した女性。
イエスの復活を使徒たちに告げ、初期キリスト教父から「使徒たちへの使徒」「亜使徒(使徒に次ぐ者)」とされます。
正教会では「携香女(けいこうじょ)」の称号を与えられています。
これは、磔刑後のイエスの遺体に塗るための香油を持って墓を訪れたという記述に由来しています。
西方教会ではイエスによって七つの悪霊から解放された「罪深い女」。
初期キリスト教の外典でイエスに寵愛されたと記され、伝承の中でイエスとの結婚が伝えられます。
福音書の中のマグダラのマリア

アレクサンドル・アンドレーエヴィチ・イワノフ作『復活後のマグダラのマリアへのキリストの出現』(1835年)
マグダラのマリアが福音書で語られる箇所は多くありません。
- マタイ。マルコ・ヨハネの福音書で、磔刑
- マタイ・マルコの福音書で、埋葬
- マタイ。マルコ。ルカ。ヨハネの福音書で、復活
に立ち会った女性として登場しています。
イエスを支えた女性

パオロ・ヴェロネーゼ作「マグダラのマリアの改宗」
マグダラのマリアは四福音書でイエスの弟子の一人としてイエスと共に旅をしたと伝えられています。
通説では、実在した、ガリラヤ湖沿いの町マグダラ出身の人物。
イエスによって癒やされ、イエスの敬虔な信者となり、イエスの宣教活動を支えた女性とされます。
イエスの磔刑

マサッチョ作 1426年「磔刑」
四福音書は数人の女性がイエスの磔刑を遠くから見守っていたと記しています。
⚫︎マルコの福音書 では、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメ(イエスの弟子の一人)
⚫︎ヨハネの福音書 では、マグダラのマリア、イエスの母マリアとその姉妹、クロパの妻マリア(イエスの墓に眠る三人のマリア、マグダラのマリア、「マリア」サロメ、クロパのマリアの一人)
の名が記されています。
埋葬

ラファエロ作『十字架降架』(1507年)
マグダラのマリアはイエスの埋葬に立ち会った女性のひとりです。
マルコの福音書とマタイの福音書の中でその名が記されています。
◾️マルコの福音書
安息日の前日の夕方、アリマタヤのヨセフという顧問官が、ピラトのところに行き、イエスの遺体を引き取ります。
ヨセフはイエスの遺体を亜麻布に包み、岩を掘って作った墓に納め、墓の入り口を石で塞ぎます。
マグダラのマリアとヨセフの母マリアは、イエスが納められる様子を見守っていました。
◾️マタイの福音書
夕方、イエスの弟子の一人、アリマタヤのヨセフがピラトにイエスの遺体を引き渡しを願い。ピラトはそれに応じます。
ヨセフは遺体をきれいな亜麻布で包み、岩に掘った墓に納め、墓の入り口を大きな岩で塞ぎ立ち去ります。
マグダラのマリアともう一人のマリアは墓の向かい側に座って、それを見守っていました。
イエスの復活

アンニバレ・カラッチ作「キリストの墓の聖女たち」
4つの正典福音書と外典の『ペテロの福音書』は、マグダラのマリアはイエスの墓が空であることを最初に発見した人物であると伝えています。
イエスの復活に最初に立ち会った女性。
イエスの復活を弟子(使徒)たちに告げるため遣わされた女性です。
◾️マルコの福音書
安息日が過ぎ、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメの3人は香料を持ってイエスの墓を訪れます。
イエスの埋葬から1日半後(週の初め)、日の出直後にイエスの墓に到着。
入り口はすでに石が転がっており、中に入ると、長い白い衣を着た若者が座っています。
若者は「恐れることはない。ナザレのイエスは蘇ったがここにはおられない。あなたたちは弟子たちとペテロに伝えなさい。『イエスは先にガリラヤへ行かれる。そこでイエスに会えるであろう、と 』
彼の存在に驚き、恐れた婦人たちは墓から逃げ去り、そして、だれにも口外しませんでした。
イエスは週の初めの日の朝早くに復活し、マグダラのマリアのもとを訪れます。
マリアはイエスと親しい人たちにイエスの復活を告げます。
けれど、誰もそれを信じませんでした。
◾️マタイの福音書
安息日の終わり、週の初めの日の夜明けが近づいたころ、マグダラのマリアともう一人のマリアが墓を訪れます。
その時地震が起こり、白い衣をまとった稲妻のような表情の主の使いが降臨。
女性たちが見守る中、戸口から石を転がし、その上に座ります。
御使は婦人たちに「イエスは復活されました。けれどここにはおられません。
あなたたちは弟子たちに『イエスが復活されガラリアに行かれた。あなたたちはそこでイエスに会うであろう』と伝えなさい」と告げます。
婦人たちは恐れと大きな喜びをもって墓から立ち去り、弟子たちに知らせを伝えるために走りました。
それを聞いた11人の弟子たちはガリラヤのイエスが彼らに命じておられた所へ向かいます。
そこで彼らはイエスと再会をとげます。
◾️ルカの福音書
週の初めの日の朝早く、マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリアは香料を持って墓に行き、すでに石が転がっているのを見つけました。
彼女たちは中に入ります。
けれどそこにイエスの遺体はなく、そこに立っていた白く輝く衣を着た二人の若者に出会います。
そして、イエスが死からよみがえったことを告げます。
彼女たちは11人の使徒にそのことを伝えましたが、使徒たちはその話を信じませんでした。
◾️ヨハネの福音書
週の初めの日、まだ暗いうちにマグダラのマリアは墓に行き、石がすでに転がっているのを見つけます。
マリアは走ってシモン・ペテロと、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ知らせに行きます
ペテロともう一人の弟子は墓に行き、墓に入り、イエスがそこにおられないことを確認して家に帰ります。
マリアは墓の外で泣いていました。
そして、泣きながら身をかがめて墓の中を覗き込みます。
そしてイエスの体が置かれていた場所に白い衣を着た二人の天使が座っているのに気づきます。
天使たちはマリアに「なぜ泣いているのですか」と尋ねます。
マリアは「私の主が連れ去られ、どこに行かれたのか分からないのです」と答えます。
そうして振り返えるとイエスが立っておられるのを見ますが、それがイエスだとは分からずにいます。
イエスはマリアに「婦人よ、なぜ泣いているのか。誰を捜しているのか。」と尋ねますが、マリアはそれがイエスだとは気づかず、園の管理人だろうと思って答えます、
「ご主人様、もし彼をここから運び出したのでしたら、どこに置いたのか教えてください。私が引き取ります」。
イエスは「マリアよ」と答え、その声にマリアは振り返り「ラボニ(先生)!」
イエスは「わたしにさわらないでください。わたしはまだ父のもとへ上っていないからです。しかし、わたしの兄弟たちのところへ行って、 わたしは、わたしの父であり、あなたがたの父でおられる方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のもとへ上る、と告げなさい」とマリアに告げます。
マリアは弟子たちの元を訪れ、イエスが彼女にこれらのことを話したことを告げました。
外典、その他の文献で語られるマグダラのマリア
罪深い女

ホセ・デ・リベーラ作『マグダラのマリアの浄化』
マグダラのマリアは正典・ルカとマルコの福音書の中でイエスによって七つの悪霊から解放され、癒やされた婦人のひとりと記されています。
また、外典の『トマスの福音書』の中で、使徒ペトロは「マグダラのマリアは私達のもとから去ったほうがいい」とイエスに進言。
イエスはこれに応えて「私は彼女を天国に導くだろう」と告げています。
この内容をふまえ、西方教会ではマグダラのマリアをイエスによって七つの悪霊から解放された「悔悛した罪深い女」とします。
また、ヤコブス・デ・ウォラギネ(中世イタリアの年代記作者)はキリスト教の聖者・殉教者たちの列伝『黄金伝説』の中で、マグダラのマリアを金持ちの出自で、その美貌と富ゆえに快楽に溺れた女性と解釈。
ルネサンス以降「罪深いマグダラのマリア」を描いた絵画、彫刻などの作品が数多く制作されました。
娼婦だった?

ピーテル・パウル・ルーベンス作『キリストと悔悛する罪人たち』(1617年 )
マグダラのマリアが娼婦として認識されるようになったのは591年、グレゴリウス1世がマグダラのマリアとベタニアのマリアを同一視し、「罪深い女」としたことが発端。
マグダラのマリアは悔い改めた娼婦、あるいは淫欲に溺れた女性というイメージが広められます。
西方キリスト教ではマグダラのマリアは悔い改めた娼婦と認識されますが、これが聖書で記されているという根拠はありません。
ベタニアのマリア

ハインリッヒ・ホフマン作 1893年
ベタニアのマリアは四福音書でイエスに聖油を塗った女性としてその存在が語られ、ヨハネとルカの福音書ではその名前が記されている女性信者のひとり。
イエスによって死から蘇生されたラザロの妹。
マルタとラザロの兄たちと共にエルサレム近郊の村・ベタニアに住んでいたとされます。
◾️ヨハネの福音書
過越祭の6日前、イエスはベタニアを訪れます。
そこには、イエスが死から蘇らせたラザロが住んでいました。
イエスをもてなすための晩餐が催され、その場でベタニアのマリアはナルドの純粋な香油1リットルをイエスの足に注ぎ、自分の髪でその足を拭いました。
イエスの妻?

レオナルド・ダ・ヴィンチ作『最後の晩餐』
マグダラのマリアは初期キリスト教の外典、トマスの・フィリポ・マリアの福音書で、イエスの使徒でイエスに最も愛された弟子、イエスの教えを真に理解した唯一の人物とされます。
⚫︎2世紀の外典『フィリポによる福音書』では
マグダラのマリアはイエスの伴侶で、イエスがマリアを寵愛していたと記しています。
後にマグダラのマリアはさまざまな作品の中で描かれています。
⚫︎1982年刊行のノンフィクション『レンヌ=ル=シャトーの謎 - イエスの血脈と聖杯』では、
イエスはマグダラのマリアと結婚、一人以上の子供をもうけ、その子孫は現在の南フランスに移住し、メロヴィング王朝の貴族たちと結婚。
その血脈はシオン修道会によって今日も守護されているとしています。
⚫︎1993年『マグダラのマリアと聖杯』(マーガレット・スターバード著)では
イエスとマリアとの子はサラという名の娘としています。
⚫︎1951年『最後の誘惑』(ニコス・カザンザキス著)
⚫︎2003年には『『ダ・ヴィンチ・コード』(ダン・ブラウン著)
などでは独特の視点でイエスとマグダラのマリアの関係を題材にした小説を発刊しています
イエス昇天後のマリア

フィリップ・ド・シャンパーニュ作 1674年
福音書にはイエスの昇天後のマグダラのマリアの消息については語られていませんが、
キリスト教の教派によって幾つかの伝承が語られています。
◾️正教会では
時のローマ皇帝・ティベリウスに謁見、ハリストス(キリスト)の磔刑と復活を伝え、ピラトによる処刑は不法であったと訴えます。
そして、イエス復活の第一の証人として、聖母マリアや使徒達とともに、広く方々を旅し、神の道を伝えています。
◾️カトリックでは
マグダラのマリアとベタニアのマリアは同一人物であるとしています。
⚫︎晩年、イエスの母マリア、使徒ヨハネとともにエフェソ(小アジアの古代都市)に暮らし、そこで没しています。
その遺骨は後にコンスタンティノポリス(現イスタンブール)に移葬されたとされます。
⚫︎兄弟のラザロ、マルタらとともにマルセイユ(あるいはサント=マリー=ド=ラ=メール)で暮らし、晩年はサント=ボームの洞窟で隠士生活をおくり、一生を終えています。
遺骸はエクス=アン=プロヴァンス郊外のサン=マクシマン=ラ=サント=ボームに葬られたとされます。
マグダラのマリア、映画の中ではイエスの妻
1988年公開、マーティン・スコセッシ監督作品『最後の誘惑』では、人として生きる誘惑に駆られるイエスとイエスに愛されたマグダラのマリアが描かれています。
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2006年年公開トム・ハンクス主演の『ダビンチコード』とそのシリーズはダン・ブラウンの小説を元に制作されたもの
『ダヴィンチコード』の中では『最後の晩餐』に秘められた謎、イエスとマグダラのマリアの関係が明かされてゆきます。
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マグダラのマリア まとめ

グレゴール・エアハルト作『マグダラのマリア』
イエスが実在したかどうかはわかりませんが、個人的には、たとえ誇張されていたとしても、その物語はあまりにも人間離れしていて、フィクションのように思えてなりません。
けれど、マグダラのマリアとの関係においてのイエスは人間味を感じます。
『ダヴィンチコード』で『最後の晩餐』の解釈はナルホドと思えます。
