徳宣
サルタヒコ(猿田彦命 猿田毘古大神)は、手塚治巨匠作不朽の名作『火の鳥』では火の鳥に次ぐ堂々の主役級として、様々な人物となって活躍しています。
大きな鼻、真っ赤な顔の風貌は、お茶の水博士や天狗のモデルともなった神。
道祖神として各地に猿田彦大神を祀る神社も点在する有名どころの神様です。
目次
サルタヒコ(猿田彦命 猿田毘古大神)、天狗の原型になった道を示す神
19世紀後期
サルタヒコ(猿田彦命 猿田毘古大神)とは
サルタヒコ(猿田彦命 猿田毘古大神は、アマテラス(天照大神)の孫、ニニギノミコト(瓊瓊杵尊)が葦原の中つ国を統治するため日向高千穂に天降った(天孫降臨)際に道案内を務めた神
その異様な風貌は後の天狗の原型になったとされます。
『日本書紀』には鼻の長さは七咫(約126cm)、身長は七尺(約210cm)、目は八咫鏡のように丸く大きくてホウズキのように照り輝いていると記されています。
衢(ちまた)の神、後に、庚申(かのえさる)信仰や道祖神(外来の疫病や悪霊を防ぐ、道の神・峠の神)と結びついたとされる日本各地の神社で崇められる大神です。
サルタヒコの生涯
葛飾北斎作
道を示す神
サルタヒコは、ニニギ(瓊瓊杵尊)が地上に舞い降りる際、天の八衢(あめのはちまた、道がいくつもに分かれている所)で一行を出迎え、異様な出で立ちで天の八衢に立ち、高天原から葦原中国までを照らします。
けれどサルタヒコはその特異な姿から怪しまれ、アマテラス(天照大神)と高木神はアメノウズメ(天之鈿女命・天宇受売命)に、その神の元へ行って誰であるか尋ねるよう命じます。
サルタヒコは名を名乗り、「天孫の道案内の為に参上しました」とこたえます。
ニニギはサルタヒコに道案内の任を与えます。
このことによって猿田彦は「道を示す神」として人々の信仰の対象となります。
サルタヒコとアメノウズメの結婚
ニニギ(瓊瓊杵尊)一行を道案内した後、サルタヒコは故郷である伊勢国に帰りますが、アメノウズメはそれに同行し『猿女君』と呼ばれるようになります。
これは猿田彦大神と天宇受売命は結婚したと解釈され、ちなみにアメノウズメは結婚後名前が変わった最初の女性となります。
そしてふたりは五十鈴川のほとりに暮らしたとされています。
サルタヒコの最期
けれどサルタヒコは伊勢の阿邪訶(あざか)の海で漁をしていた時、比良夫貝(ひらふがい)に手を挟まれ、溺れ死ぬことになります。
この際、海に沈んでいる時に「底度久御魂」(そこどくみたま)、猿田彦が吐いた息の泡が昇る時に「都夫多都御魂」(つぶたつみたま)、泡が水面で弾ける時に阿和佐久御魂」(あわさくみたま)という三柱の神が生まれました。
そして、倭姫(やまとひめ)が天照大神を祀る地を探して諸国を巡っていた際には猿田彦の子孫である大田命(おおたのみこと)が倭姫命を先導して五十鈴川の川上一帯を献上したとされています。
猿田彦大神の御神徳
月岡 芳年作
猿田彦大神は天孫降臨で道案内の役を果たしたことから、道祖神、道の神、旅人の神、道祖神、「みちびきの神、みちひらきの神」として祀られ、様々な人や物事を幸福へと導く神様として崇められます。
また、塞の神(岐の神(くなど)の神として、豊穣の神、禊、魔除け、厄除け、悪神・悪霊を防ぐ神としても信仰されています。
- 交通安全
- 厄除開運
- 学業成就
- 縁結び
- 商売繁盛
などのご利益があるものと崇められています
妻 、アメノウズメ(天之鈿女命・天宇受売命)
小村大雲作
天孫降臨の後サルタヒコの妻となったアメノウズメ(天之鈿女命)は、アマテラス(天照大神)が天岩戸に隠れた『岩戸隠れ』の際、踊りを踊って天照大神の引きこもりをやめさせるきっかけを作った日本最初の芸能の神。
「鎮魂の神」「芸能の祖神」としてあらゆる芸道の向上、 縁結び・夫婦円満の守護神として信仰されています。
サルタヒコ(猿田彦命 猿田毘古大神)、その風貌はやっぱ手塚治のキャラ
巨匠手塚治の代表作のひとつ『火の鳥』の中の猿田彦は「黎明編」の中で弥生時代の邪馬台国の女王・ヒミコの忠実な家来として初登場。
以来、八百比丘尼の父猿田彦、未来編では猿田博士、鳳凰編では我王、乱世編では鞍馬の天狗など、それぞれの編で様々なキャラとなって登場。
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「鉄腕アトム」ではお茶の水博士のイメージキャラにもなった、手塚治ワールドにはなくてはならない存在です。
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サルタヒコ(猿田彦命 猿田毘古大神) まとめ
歌川国芳作
思うに、道に迷った時、ゆく手を阻まれた時、その道を指し示す存在というのはありがたいもの。
天狗のような風貌という迫力の存在感も加わって、道祖神である猿田彦大神が様々な地で親しまれ信仰されていることに納得です。
手塚治がなぜ、これほど猿田彦大神にご執心であったのかも、もしかして「道を示す、みちひらきの神」であることが理由であるのかもしれません。