ジョン・ダンカン作 1924年
世界には旧約聖書のエデンの園やギリシャ神話のエリシオン、中国の桃源郷など、様々な楽園が伝えられています。
今回はケルト地方に伝えられる伝説の国「ティル・ナ・ノーグ」「マグ・メル」のご紹介です。
人間との戦いに敗れたダーナ神族が住まう「ティル・ナ・ノーグ」「マグ・メル」
その常若の楽園を訪れた英雄たちの伝説とは
目次
ティル・ナ・ノーグ、マグ・メル、ダーナ親族(トゥアハ・デ・ダナーン)の新たな楽園
トーマス・ヘザーリー作
アイルランドの地を巡ってミレー族(人間)との戦いに破れたダーナ親族(トゥアハ・デ・ダナーン)は追手を逃れ、海の彼方、西の地に新たな国々を造ることになります。
その代表的なものは
- 常若の国ティル・ナ・ノーグ
- 喜びが原マグ・メル
- 至福の島イ・ブラゼル
- 波の下の国テイル・テルンギリ
その地を旅した英雄の冒険譚はキリスト教以前の古アイルランド文学『エクトラ』(『エクトラエ』)などでも語られています。
ティル・ナ・ノーグ、「常若(とこわか)の国」
フランソワ・パスカル・シモン・ジェラール作『ハープ演奏をするオシアン』1801年
ティル・ナ・ノーグ(Tír na nÓg )は「常若(とこわか)の国」と呼ばれ、約束の地とされる伝説の地。
海の果てにあるとも、海の底、地下にあるともいわれる妖精(ダーナ神族)の国です。
- 生物の島、
- 勝利者たちの島、
- 海底の島
の三通りの島があるとされます
そこに住む妖精たちは老いも死もなく、永遠の若さ、健康、豊かさ、喜びを享受。
彼らは詩、音楽、娯楽、不死を与えるゴブニュでの饗宴を楽しみます
- 常に一杯の林檎が実る「不思議の林檎の木」、
- いくら食べても生き返る豚、
- いくら飲んでもなくならない永遠の若さを授けるエール「ゴブニュの饗応」
以外にも
そこには全ての季節の花々が咲き、あらゆる収穫物がなる楽園。
常に花は咲き乱れ、植物は生い茂り、さまざまな果実が実ります。
アイルランド神話の英雄たちは、航海や住民の招待を受けてティル・ナ・ノーグを訪れてます。
古墳や洞窟、霧の中に入ったり、水中に潜る、魔法の船やマナナンの馬に乗ってたどり着いています。
人間の住む世界と、異界との狭間に存在し、そこでは時間の流れもゆっくりで、妖精の国の1分が、この世の1年に相当すると伝えられています。
海神マナナン・マクリールがこの楽園の王
愛の神ミディールも美しい宮殿を構え、一説にはクーフリンやアーサー王もそこに住まうと考られています。
マグ・メル、死者が行き着く、喜びの島
ジョージ・ウィリアム・ラッセル作
マグ・メル(Magh Meall)は、ケルトの異界。
「喜びの原」という意味を持つ楽園。
死や栄光によって到達できる喜びに満ちた死者の国とされます。
ここでは病気や死は存在せず、永遠の若さと健康、そしてすべての楽しみが溢れ、食べ物や飲み物に困ることはありません。
海の神マナナン・マク・リル、あるいはフォモール王テスラが支配する、アイルランドのはるか西の島、あるいは深海にある王国。
その魅力はキリスト教時代にまで語り継がれていました。
冒険家たちにとってのこの地は神の思し召しによってたどり着く地上の楽園。
その地に辿り着いた物語は『エクトラエ』(異界を訪れた英雄の冒険を描いた、キリスト教以前の古アイルランド文学)の中で語られています。
『ブランの航海』では、ブラン王子一行は海神マナナンと遭遇。
「花の咲き乱れる草原」と説明されています。
楽園を旅した英雄たち
ティル・ナ・ノーグの王になったオシーン
パトリック・リンチ作
フィン・マックールの息子オシーンもティル・ナ・ノーグを訪れます。
その物語はフィン物語群の中で最も有名な『ティル・ナ・ノーグのオイシン』で語られています。
『ブランの航海』
スティーヴン・リード作
『ブランの航海』は8世紀に成立した中世アイルランドの説話。
フェヴァル王の息子ブラン( Bran mac Febail)のケルトの異界、マグ・メルへの旅が記されています。
あらすじ
ある日、城の近辺を散策していたブランは妙なる音楽に眠りにおちてしまいます。
目覚めると、そこに白い花を咲かせた銀の枝が置かれていました。
王宮に戻ると不思議な衣装をまとった女性が、その銀の枝をつけたリンゴ樹が生えるエヴァンのことを歌いだします。
そこははるか大海の向こうにある「苦悩も、悲哀も、老いや病、死さえもない」ところ。
「豊潤の国」とも呼ばれる女人の国
竜石と水晶が降る、常春の国。
そして、その女性はブラン王子にエヴァンへ旅するように命じ、枝を持ち去ってしまいます。
ブランは隊を構え、大海原を出立。
航海の2日目、海神マナナン・マク・リルに出会います。
マナナンはその地を「花々が咲き誇る草原の国「喜びの原(マグ・メル)」。異界と現世が入り交じるところ。その「女の国」には日没までには到着するだろう」と告げます。
「喜びの島」にたどり着いたブラン一行は、そこでひとりの斥候を島に上陸させます。
けれど、島に降りたその兵は呼んでも返事はなく、仕方なく置き去りにし目的の女人の国に向かいます。
ついに目的地に到達したブランたちは、けれど上陸を躊躇。
女王は糸毬を船に投げつけます。
その糸が船に張り付き離れなくし、糸をたぐり寄せ、船は否応なく陸まで牽引されてしまいます。
そして女王の館に招かれた一行に「男女二十七の床」が用意されました。
愉悦にひたる日々に、しばらくの逗留が実は長い年月が経ってしまいました。
けれどついにコールブランの息子ネフターンが郷愁の念にかられ、ブランも帰還を決意。
女王は「アイルランドに近づいても決して地に足を触れぬよう」と忠告。
故郷にたどり着いたブランは岸にいる人間に向かって名乗りを上げます、
すると「ブランの航海ははるか昔話だ」と返されてしまいます。
隊のひとりネフターンは舟から飛び降り、陸に泳ぎ着きます。
けれど着地した瞬間に、その体は灰となってしまいました。
上級王コーマックの冒険
コーマック・マック・エアトはアイルランドの伝説の高王。
多くの伝説を持ち、古代上級王の中で最も有名で、実在した人物ともされます。
「エクトラ・コルマク」の中では海神マナンナン・マック・リールが住む約束の地への旅が語られています
あらすじ
ある時、白髪の騎士がコーマック・マク・エアト王を訪れます。
その騎士は、心地よい音楽を奏で人々を眠りに陥らせる、3 つの金のリンゴが付いた魔法の銀の枝を持っていました。
この騎士は海神・マナナン・マク・リル。
王が騎士にどこから来たのかと尋ねると、騎士は「老いも、負の感情もない、喜びに満ちた地から来た」と答ええます。
コーマックは同盟を申し出、マナナンがそれに同意すると、コーマックは魔法の枝を所望。
マナナンは コーマックが3 つの願いを叶えるという条件で枝を与えます。
その後、マナナンは娘、息子、妻を連れ去ってしまいます。
それがマナナンの3つの願いであったのです。
激怒したコーマックが後を追うと、魔法で濃い霧の中を抜け、2つの要塞がある広大な平原に辿り着きます。
要塞の中には青銅の梁と銀の枝で作られた宮殿があります。
宮殿でコーマックは家族を奪った騎士と、金の兜をかぶった美しい黄色髪の女性に出会います。
そうしているうちに、客人をもてなすための料理人が大釜で食事の準備をはじめますが、料理人は4つの真実を語るまで豚は調理されないといいます。
まず料理人が話し始め、騎士、女性、そしてコーマック。
コーマックはここに来るまでの出来事を語ります。
4 つの真実を語り終えると豚の準備が整い、コーマックに料理がふるまわれます。
コーマックが50人の部下がいないと食事ができないと話すと、騎士は魔法でコーマックを眠らせます。
目覚めると50人の戦士と娘、息子、妻がいます。
騎士は本来の海神・マナナンの姿に戻り、コーマックに試練を与えたことを語ります。
そして3つの嘘を言うと3つに割れ、3つの真実を言うと元通りになる魔法の杯をコーマックに与えます。
そしてコーマックの死後、コーマックに与えた物すべて(息子、娘、妻、カップ)が約束の地に戻ることを告げます。
コーマックはこの杯を政権を維持するための嘘と真実を見分けるために使い、コーマックが亡くなるとマナナンが予言した通り杯は消えてしまったということです。
ティル・ナ・ノーグ、マグ・メル、ゲームの世界でも健在(?)
ティル・ナ・ノーグ
ソーシャルゲーム『テイルズ オブ ザ レイズ』ではナーザはティル・ナ・ノーグを「ダーナの揺り籠」と呼びます
罪を背負った人々は、罪を贖い、浄化しダーナの揺り籠に生まれ落ちたとされる広い海と大小無数の島々で構成された世界
ーーーーーーーーーー
「ティル・ナ・ノーグ」シリーズは 無限にシナリオを作成できることが特徴のRPGゲーム。
ティル・ナ・ノーグ(常若の国)で英雄妖精となった主人公がダーナ・オシーやエルフ、ドワーフ達と共に冒険の旅の中で成長してゆきます。
ーーーーーーーーーー
『夢幻のティル・ナ・ノーグ』は人間とのハーフエルフのアイリスが異世界ティル・ナ・ノーグを冒険するファンタジーアドベンチャー
ーーーーーーーーーー
マグ・メル
アニメ「群青のマグメル」は 世界に現れた新大陸・マグメルを舞台に、探検家の救助少年ヨウの冒険や出会いを描くファンタジー。
ーーーーーーーーーー
「マグメル深海水族館」は東京湾の水深200メートルにある水族館を舞台に、そこで働く天城航太郎と深海生物との交流を描く心あたたまる物語
ーーーーーーーーーー
『ファイナルファンタジー・クリスタルクロニクル』のマグ・メルはライナリー砂漠にあるカーバンクルが眠る地。
ティル・ナ・ノーグ、マグ・メル まとめ
アーサーラッカム作
楽園は人間がたどり着くには人間としての人生を終える覚悟が必要なようで。
老いた後や長い年月をそこで過ごせば納得もするだろうけれど
うら若き青年が一生を交換するにはもったいないのでは。
苦労や時には恐怖があってこそ到達感や喜びが生まれるので、
快適な生活が永遠に続くのはむしろ苦痛のようにも思うのですが。