荼吉尼は狐に乗った美しい女神として多くの稲荷神社で崇められる神。
豊穣の女神や、天女として扱われることもあります。
けれど、もとは人間の心臓を食べ、性と愛欲をつかさどる夜叉という側面も伝えられています。
今回は、そんな荼吉尼(ダキニ)のご紹介です。
人間を食らう恐ろしい夜叉か、人間に豊穣を与える天女か、
その本性とは?
目次
荼吉尼(ダーキニー) 夜叉か、豊穣の女神か? インドの魔女
メトロポリタン美術館
荼吉尼(ダーキニー)とは
荼吉尼(だきに)は、仏教の神・荼吉尼天。荼枳尼、吒枳尼天、吒天(だてん)とも呼ばれます。
夜叉 (鬼神) の一種。
日本では稲荷信仰と混同され、狐の精霊とされました。
その荼吉尼の起源は、古代インドのダーキニー (Dakini )
衣服を何も身に着けない裸身で、人肉を食らう魔女。
ダーキニーは、本来はヒンドゥー教もしくはインドのパラマウ地方 (ベンガル地方の南西部) の土着信仰のダーキンという名の地母神。
ヒンドゥー教では血と殺戮の女神・カーリーの眷属で豊穣の女神だったといわれています。
その後、性や愛欲をつかさどる女神とされ、やがて凶暴で人肉を食らう魔女、といった側面が付け足されていきました。
これが仏教に取り入れられ、夜叉や羅刹女 (人間を惑わす魔物のようなもの) に分類されるようになります。
様々に語られるダーキニー
ヴァジュラ・ヨーギニー作
荼吉尼(ダキニ)の概念は、宗教や文献、時代によって異なります。
初期のヒンドゥー教や密教では、人間の肉や精気を食べる悪魔。
ネパールやチベット仏教では悟りを開いたエネルギーが体現された女神。
様々な側面を持つ女神あるいは悪魔であり、ひとつの定義で表すのは不可能な存在として伝えられています 。
ヒンドゥー教のダーキニー
プラーナ文献(供犠と祭儀を解説する経典)では、ダーキニーは殺戮の女神・カーリーの眷属。
カーリーに付き従う人肉を食らう女鬼、あるいは夜叉女して語られています。
その一方で、タントラ文献(シャクティ派の教典)でのダーキニーは、人体の6つのチャクラに関連付けられる女神。
仏教でのダーキニー
ヨギニ・マチグ・ラブロン作
仏教のダーキニーもまた様々な側面が語られています。
女神
ネパール仏教とチベット仏教では、タントラを信仰する者が悟りを得るのを助ける女神とされます。
羅刹女(らせつじょ)
大乗仏教では羅刹女(人肉を食らう鬼神)。
人間と獅子との間に生まれた子が荼枳尼や荼伽(ダーカ・男のダーキニー)となり、鳥獣、後に人肉を食うようになったと伝えられています。
ロサンゼルス郡立美術館
夜叉(やしゃ)
ヤクシャ(夜叉)のマヘーシュヴァラ(大自在天)は 神と崇められるダーキニー族の長。
ダーキニーは『大日如来タントラ』の中で大日如来の化身であるマハーカーラ(大黒天)によって調伏される物語が語られています。
仏(大日如来)はダーキニーが人間を襲いその肉を食らうことを怒り、マハーカーラ(大黒天)となってダーキニーを召喚。
彼らを飲み込み、人肉を食らうのをやめれば解放すると脅します。
けれどダーキニーはそれでは飢えてしまうと懇願。
そこで、マハーカーラは死人の精気「人黄」を食べることを許し、 死期が近い人間がわかるマントラ(真言と印)を与えます。
密教、チベット仏教でのダーキニー
密教やチベット仏教ではダキニー。カンドロマ、カンド、カンドマと呼ばれ、密教の行者を悟りに導く女神。
気性が激しく、空間エネルギーの動きを想起させる役割を担っています。
鳥獣頭を持つものも伝えられ、埋蔵経典の『死者の書』にも多くのダーキニーが語られています。
日本に取り入れられた荼吉尼(ダーキニー)
荼枳尼(大悲胎藏大曼荼羅 仁和寺版)
8世紀ごろに書かれた『大日経疏』で、大日如来が大黒天に変身してダーキニーを調伏したという説話があります。
大黒天は荼吉尼を降三世の法門によって降伏し,仏道に帰依させたと伝えられています。
ダーキニーは生きた人間の肉を食べることを禁止された代わりに、自由自在の通力を有し、人間の死を半年前に予知する能力を与えられました。
そして人が死んで、その死の直後の心臓を取って食らうことを許されました。
人間の心臓には「人黄」という生命力の源があり、それが荼枳尼の呪力の元となっていたのです。
人々は、その神通力を得るためにダーキニーを信仰したといいます。
荼枳尼天、吒枳尼天、荼吉尼天と呼ばれる一柱の神となり、日本の稲荷と習合。
キツネの精霊として白狐に乗る天女の姿で描かれるようになります。
密教において、荼吉尼は閻魔天の眷属の女鬼であり、妖狐の化身。
ダーキニーの本来の神格である豊穣神として崇められるようになります。
ダーキニーが荼枋尼天になるまで
伝来
荼吉尼は、平安時代初期(9世紀)、空海が日本にもたらします。
空海に伝えられた真言密教での荼吉尼は、 閻魔天の眷属の奪精鬼。
伝来当初のダーキニーは半裸で短刀、屍肉を手にする姿であったのが、 閻魔天曼荼羅では薬袋らしき皮の小袋を持つ長髪の女性、
そして、
稲荷との習合により白狐に乗る天女と変化してゆきます。
11世紀後半〜12世紀、ダーキニーは閻魔天祭祀からはなれ、「荼枋尼天」として信仰されるようになります。
その一方で、ダーキニー儀礼は愛宕権現と呼ばれ、様々な呪術も生まれています。
荼吉尼天と狐の関わり
豊川荼枳尼真天(豊川吒枳尼真天)
荼吉尼天と狐の関わりについては正確には分かっていません。
けれど、古来、狐は屍体を食べることや人間の死を予知することができる、人間の精気を奪う動物と考えられていいました。
それら、ダーキニーとの共通点の多さから稲荷神と混同されるようになったといわれています。
文献の中の荼枳尼
歌川国芳 作
平安時代の武将、平清盛は荼枳尼天の修法を行っていたといわれます。
◾️『源平盛衰記』(全48巻からなる『平家物語』の異本)には清盛と荼枳尼天(貴狐天王)と出会いが記されています。
清盛は狩猟の最中に一匹のキツネに出会います。
清盛が矢を放つとキツネは女性に姿を変え、清盛の望むものを与えると命乞い。
清盛はこの女性が貴狐天王(きこてんのう 尊いキツネの王)であると悟り、女狐の命を助けます。
この時より、清盛はこの荼毘尼天の法(だてんのほう)の功徳は子孫に受け継がれないことを承知で荼毘尼天の信者となり、清盛の栄光とその後の一族の没落は、荼毘尼天の儀式を行ったことによるものとされます。
◾️『古今著聞集』(鎌倉時代の世俗説話集)には、平安時代後期の公卿・藤原忠実の荼毘尼天信仰が語られています。
忠実は流罪になる直前の7日間、荼毘尼天の儀式を行い、その最中狐が供物の餅を食べに来ました。
その夜、忠実の夢に若く美しい女性が現れます。
忠実は立ち去ろうとする女性の髪を掴んで引き止めます。
目覚めた忠実の手には狐の尻尾が握られていました。
翌日、忠実は流罪ではなく高い位に昇進しています。
荼吉尼天信仰
豊川稲荷
荼吉尼天は時代によって様々な信仰を集めています。
荼毘尼天の儀式は立身出世などの世俗的なご利益が得られるされます。
けれどその一方で、破壊的、黒魔術的な効果は危険な「異端」(げほう)の慣習という扱いも受けています。
時の権力者の急速な栄華と零落は、荼毘尼天のご利益によるものとされました。
中世、天皇の即位灌頂では荼枳尼天の真言を唱えるようになります。
けれど、後醍醐天皇の時代、天皇の護持僧・文観は、荼枳尼天を祀る妖僧とされています。
荼枳尼天の修法は外法(げほう、仏教以外の教えや、魔法、魔術)として
『平家物語』『源平盛衰記』、『太平記』に記述されています。
鎌倉時代、荼枳尼天は性愛を司る神として崇められています。
荼枳尼天を祀る密教の信者たちは、髑髏を本尊とする性的儀式を行い、邪教として糾弾されています。
戦国時代の武将たちは城鎮守稲荷として荼枳尼天を祀り、怨敵退散と闘戦の勝利を祈願しています。
近世、荼枳尼天は、伏見稲荷(愛染寺)、最上稲荷(妙教寺)、豊川稲荷(妙厳寺)、王子稲荷(金輪寺)に祀られ、憑き物・悪霊退散、病気全快、開運出世の福徳神として信仰されます。
荼枳尼天は人を選ばず願望を成就させるとされ、博徒や遊女、貧困層からも広く信仰されています。
荼吉尼天は現代でも日本各地の多くの神社仏閣で祀られています。
そのご利益は
- 五穀豊穣
- 大願成就
- 商売繁盛
- 技芸上達
- 厄除開運
- 家内安全
など。
荼吉尼(ダーキニー)、現代で仏教の荼吉尼天
漫画『鬼灯の冷徹』では、美女として登場。
人間の死期を正確に当てられる能力を主人公・鬼灯に買われ、閻魔庁のお迎え課に就職します。
その美貌から多くの獄卒がお迎え課に集まり、部署の人気者になります。
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漫画『荼吉尼 -ダキニ-』では、主人公の変化した姿として登場しています。
悪夢に悩まされる主人公が夢の中である青年に「荼吉尼」と呼びかけられたことによって、人間の死を予知する荼吉尼の能力を得て、問題を解決していく作品です。
荼吉尼(ダーキニー) まとめ
夜叉か天女か、対照的な側面を持つ荼吉尼ですが、もしかしたら本質的にはそう変わらない存在なのかもしれません。
人間が「どのような女神が必要か」によって恐ろしい女神にも、慈愛をもたらす女神にもなるのかもしれません。