役小角(えんのおずぬ)は日本の太古の呪術師。
実在した人物と言われ、そのエピソードを記した文献も数多く残されています。
その内容は、なんと空を飛び、神々と交流し、鬼を従えたという、なんとも驚く内容のもの。
孫悟空や五条悟にも並ぶ役行者のご紹介です。
目次
役小角とは
役小角(えんのおずぬ)は、奈良、飛鳥時代の呪術者で修験道の開祖であり、最初の山伏。
役行者(えんのぎょうじゃ)、役優婆塞(えんのうばそく)とも称されます。
空海僧正、安倍晴明に並ぶ、多くの伝説を持つ宗教家の一人。
悪霊を払い、前鬼と後鬼という2匹の鬼を従えます。
前鬼が夫で善童鬼、後鬼が妻で妙童鬼。
仙人になったとも伝えられるその風貌は、頭には長頭巾(ながときん)、高下駄を履き、手には錫杖・数珠・経巻・独鈷杵など持つ姿が多く残されています。
実在した人物とされますが、正確な生没年は不詳。
役小角、スーパーヒーローを越える驚きの様々な伝説
役行者にまつわる驚くような内容の伝説は数多く残されており、それらが記された書物なども数多く伝わっています。
平安時代初期に書かれた最古の説話集『日本霊異記』で役小角は、優婆塞(僧ではない在家の信者)として記されています。
🔸優婆塞は若い頃から雲に乗って仙人と遊び、孔雀王呪経の呪法を修め、鬼神を自在に操釣る能力を会得していました。
ある時、大和国の金峯山と葛木山の間に橋をかけようとしたところ、人に乗り移った葛木山の神一言主が優婆塞に従わず、文武天皇に優婆塞の謀反を讒言。
優婆塞は母を人質にとられために捕縛。
伊豆大島に流されましたが、昼は伊豆、夜には富士山(空を飛んで、あるいは海を歩いて渡って)で修行の毎日をおくりました。
また同様に島を抜け出して伊豆山で修行、その際伊豆温泉の源泉を発見したともされています。
小角が流刑されてからというもの、各地に異常気象が起こります。
文武天皇は北極星の童子が現れる夢を見ます。童子は「聖人を罪に陥れたため」と語ります。
天皇はすぐさま小角を解放。
故郷に戻った小角は仙人になると言い残し、母とともに昇天します。
ちなみに一言主は、優婆塞の呪法で縛られ、今も解けないでいるとか。
その後、高名な僧侶、道昭法師が新羅の国で一人の日本人に出会います。その人物は役優婆塞であると名乗ったとのこと。
🔸母の白専女(しらとうめ)は小角を身籠った際、天から黄金色の仏具が降りてきて自分の口に入るという夢を見ます。
生まれた子は不気味で、不安に思った白専女はその赤子を林の中に捨ててしまいます。
けれど赤子は獣や鳥が見守って、雨にも濡れず、衰弱することもありません。
その様子を見た白専女は安堵して赤子を育てることを決意します。
🔸小角は幼い頃からその才能を発揮。誰にも教わっていないインドの文字「梵字」を理解します。
🔸22歳の時、インドの高僧・竜樹菩薩(りゅうじゅぼさつ)の浄土に遭遇。密教の奥義である灌頂(かんじょう)を授かります。(灌頂とは悟りを開いて仏になったことを示すというもの)
🔸その頃、箕面山に人肉をくらう夫婦の鬼がいました。
小角は鬼たちを改心させるため、その鬼の子を呪術で鬼に見えなくしてしまいます。
驚いた親鬼たちは途方に暮れてしまいます。
小角は鬼に人肉を食べることをやめ、人の代わりに粟を食べるようにと説きます。
以後その鬼たちは名を改め、前鬼(ぜんき)と後鬼(ごき)として小角に従うようになります。
🔸奈良県大和高田市に伝わる「奥田蓮池の一つ眼蛙」という伝説があります。
役行者の母・刀良女は病を患い、その回復を祈願するため捨篠神社へ参ります。
そこで池に2つの白蓮が咲く光輝く蓮、そこに止まる金色の蛙が歌っているところに出会います。
刀良女は何気なく萱を蛙に向かって投げたところ、蛙の片目に当たってしまいます。
蛙はそのまま水中に潜り、その瞬間、池面を彩る五色の露も白蓮も消え、蛙は醜い色に変わって浮かんで来ました。
刀良女はその時から病が重くなり、42歳で亡くなってしまいます。
それを悲しんだ役行者は吉野山に入り、吉野山蔵王権現を崇め、蛙の追善供養を行い、母の菩提を弔らいます。
現在も毎年7月7日には、山伏が吉野で行者堂と刀良女塚に香や花を献じ、蓮池の蓮180本を切り取って、蔵王堂から大峯山までの街道に祀られる祠堂に蓮を献じて、蛙の供養が行われているということ。
🔸修験道の本尊・蔵王権現は、役小角が衆生を救済するのにふさわしい仏を出現させようとして祈願して湧出させたものと言われています
役小角、その生涯
誕生
役小角は、舒明天皇6年(634年)現在の御所(ごせ)市茅原(ちはら)、伽藍(がらん)を構える金剛寿院吉祥草寺という古刹の神官の家に生まれました。
中世の役行者の伝記『役行者本記正系紐』によれば父は高賀茂十十寸麿、母は高賀茂白専女、
家系は大国主神の息子である事代主神、須佐之男命に繋がっています。
修験道を学ぶ
幼くして天才ぶりを発揮して山岳修行をはじめ、16歳の時に山背国(後の山城国)に志明院を創建。
17歳のときに飛鳥元興寺の高僧から『孔雀明王経』を学びました。
元興寺の僧・慧灌(えかん)は小角に「孔雀の呪法」を授けます。これは雑密における呪法。山で怪異に出くわした時に用いるおまじないのようなもの。
その後、葛城山、熊野や大峰(大峯)の山々で30年に及ぶ山岳修行を重ね、金峯山で蔵王権現を会得、日本の山岳信仰と仏教を結びつけた修験道の基礎を築きました。
小角の失脚
文武天皇3年、国家の医療・呪禁を司る典薬寮の長官である韓国広足に「民を惑わしている」と讒言されて伊豆島に流罪。
2年後解放されますが、同年大阪箕面山瀧安寺の天上ヶ岳にて入寂したと伝えられています。享年68。
没後
寛政11年(1799年)、役行者御遠忌(没後)1100年を迎え、光格天皇は神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)の諡(おくりな、死後に送られる名前)を贈っています
役小角の功績
修験道は、山岳信仰と仏教を組み合わせた修行法で、役小角はその開祖。その後の発展にも大きく貢献しました。
現在でも近畿地方を中心とした各地の仏教寺院、多くの修験道の霊場は役行者を開祖とし、修行の地としたという伝承があり、彼の足跡を辿ることができます。
修験者は山中での修行を通じて霊的な力を高め、呪術、治療師としての役割を果たしました。
彼の修行場は今なお日本に山岳信仰と日本宗教に強い影響を与え、多くの修験者や山伏の源流とされています。
修験道とは
修験道とは、日本古来の山岳信仰が仏教などの影響のもとに習合された日本独特の宗教。
大自然を神、その顕現を仏とし、過酷な苦行を行い、 超人間的な験力を得るというもの。
その目的はあくまで衆生の救済を目指すという実践的な宗教です。
小角の奇怪な行動は伝説化され、歌舞伎や物語として今に伝えられています。
その代表的なものとして坪内逍遙に戯曲『役の行者』などがあります。
役小角、今も正義のために戦います
「真・女神転生」シリーズのエンノオヅノは主人公らを金剛神界に退避させて東京大崩壊から守っています。それ以降魔人になったり、主人公の希少ガーディアンとしても登場しています
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『峠鬼』は役小角の新解釈に挑む本格ファンタジー。神と相対し対話する異能の道士・小角(おづの)が氏神の生贄にされようとする少女と出会い…
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夢枕獏監修、永井豪作品『邪神戦記』では役小角の子孫である中学生の小角ゆうは、悪鬼の襲撃に巻き込まれ…
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役小角、まとめ
人間の脳を活性させるという設定の映画がありますが、もしその半分でも活性させることができるなら瞬間移動も天変地異を起こすことも夢ではないのでしょう。
エスパー、新人類だってすでに、もしかしたらいるのかもしれない。
個人的には役小角の物語は全くのフィクションとして片付けてしまいたくないと思います。