日本でもお馴染みの悪魔ベルゼブブ、その起源であるバアル神のご紹介です。
バアルは紀元前3000年には古代カナンの地で信仰された最高神。
慈雨と豊穣を司る英雄神です。
そんな至高の神がなぜ悪魔に成り果てたのか。
バアルの神格や信仰から悪魔に貶められるまでの軌跡をたどります。
かわいそすぎるその経緯とは
バアル、様々な神や悪魔になったカナン神話の最高神
バアルとは
バアルBaalは、カナン(古代シリア・パレスティナ)地域の太陽神、嵐と慈雨の神。
紀元前3千年紀〜紀元前1千年紀のシリア・パレスティナで信仰された最高神です。
バアルはカナン神話の主神で神々の父・エル(あるいは穀物神・ダゴン)と海の女神・アシェラの息子。
主神で父であるエルを凌ぎ、すべての神の中で最も影響力のある神として崇められています。
妻は妹でもある愛と勝利の女神アナト、神々の女王で海の女神でもあるアシェラト、豊穣の女神・アスタルテがいます。
兄弟は敵対者ともなる海神ヤム(ヤム・ナハル)と死の神モート。
バアルの名はセム語で「主」、または「所有者」を意味し、神々の称号および敬称としても用いられました。
その起源はメソポタミアの暴風神ハダド(アダド)とされ、シリアでバアル・ハダド(主神バアル)になったといわれます。
穀物の死と復活を体現する神でもあるバアルは広い地域で信仰を集め、その地の神々と習合され、様々な名を持つ神となってゆきます。
バアル信仰は士師の時代(ユダヤの指導者・ヨシュアの死後から予言者・サムエルの登場に至るまで)にユダヤに(士師記 3:7)、紀元前900年にはイスラエルにも浸透してゆきます(列王記上 16:31-33)
カナン神話(ウガリット神話)のバアル
起源
バアルは紀元前3,000年には固有名詞として、アブ・サラビク(シュメール機の遺跡)の神々の中に登場しています。
このバアルはカナン土着の神であり、嵐と豊穣の神・ハダドと同一神とされています。
一説には、ハダド信仰が盛んであった時代、神聖なるハダドの名は大祭司以外は声に出して言うことは禁じられ、「主」を意味する「バアル」の別称が用いられたと推測されています。
ちなみに、アラム人はハダドを、カナン人はバアルを崇拝したとされます。
神格と信仰
神格
カナン神話でのバアルは嵐と雷雨、山岳の神。
二本の角(神の象徴)を持つ山高帽(あるいは兜)、棍棒(稲妻)と槍(豊饒)を握る戦士の姿で描かれ、その姿は「力強きバアル」「雲に乗る者」と表現されます。
慈雨によって大地は作物を生む、豊饒をもたらす豊穣神ともされました。
その神格は、嵐と豊穣の神ハダドとも習合されます。
慈雨と豊穣をもたらすバアル神をカナン人は太陽神、子供を授ける多産の神としても崇めています。
バアルと配偶神とのいとなみが豊穣を導くという概念は民に受け入れられ、信者よって儀式に取り入れられます。
けれど、この概念がイスラエルに浸透し、悪魔と化す原因となっています。
バアルは戦闘の神としての神格も持ちます。
兄弟でありながら敵対者である海神ヤム、死と冥界の神モートと戦い、勝利しています。
ヤムとの戦いは彼が生物の実りには欠かせない利水・治水の神であること、死神モートとの勝利はバアルが命を育む神であることを象徴しています。
バアル礼拝
子宝を授ける神格に関係して、バアル礼拝では官能的な儀式も行われ、時には、信者の長子を供物として捧げたとも伝えられています。
祭司たちは、奇声をあげ、恍惚に浸り、自傷行為などをもってバアルを讃えるといった儀式が行われていたと伝えられています(列王記18:28)
様々な神になるバアル
神々の敬称としても用いられるバアルはその地の神々と習合され、様々な名を持つ神となってゆきます。
シリアの信仰は豊穣崇拝であったとされます。
それぞれの都市は独自のバアル (男神)とバアラト (女神)を崇拝していました。
また、バアルは、メソポタミアとセムの神々の称号としても用いられていました。
- 冬に恵みの雨を降らせる豊穣の神は『高き館の主』を意味するバアル・ゼブル
- 山岳の神としてのバアルは『ペオル山の主』を意味するバアル・ペオル。
- メソポタミア北部、シリア・パレスチナの地域で信仰されていた天候神・アダドは、ウガリット神話ではバアルと習合、同一視されます。
- フェニキアやその植民地カルタゴの最高神は『香煙の祭壇の主』を意味する天空神・バアル・ハンモン
など
バアル信仰はシリア人の移住と共にエジプトにも伝承されてゆきます。
- エジプト第15〜16王朝では同じ神格を持つ嵐神・セトと同一視されます。
ギリシア、ローマ、バビロニア、アラビアなどの神々とも習合されます。
- 一説ではローマ皇帝ヘリオガバルスが伝えた太陽神エラガバルスもバアルの一柱とみなされています。
バアルは旧約聖書にも数多く記されています
「士師記」のバアル・ベリトはイスラエルの指導者・ギデオンの死後、イスラエル人が信仰したシェケムのバアル。
旧約聖書の嵐の神ハダドの名前でもあります。
けれど、旧約聖書のおいてのバアルの存在は、イスラエル人の「最悪の誘惑」として扱われています。
古代ユダヤの歴史書のひとつ、「列王記」でのバアルは偶像の神。エリヤとバアルを信仰する預言者たちとの対決が記されています。
神話の中のバアル
バアルは現存する太古の叙事詩の一つ「バアルの物語」(ウガリト神話)の中で語られています。
その中で
バアルは高い山の頂に王宮を構え、雷雨や嵐を伴って雲に乗り、天空を駆ける神。
これは神格である慈雨を象徴しています。
また、英雄神としてバアルの功績は、海神ヤムとの戦いの中で、荒ぶる自然と対峙する王権を象徴しています。
死神モトとの戦いの中で迎える死と復活は、食物や人の成長や、乾季と雨季、自然のサイクルの象徴であるとされます。
また、兄妹で妻のアナトに助けられる物語は後の古代エジプトのイシスとオシリス神話に継がってゆきます。
「バアルの物語」あらすじ
父であり主神エルが開いた集会に海神ヤムは使者を送り、「ヤム・ナハル(海神ヤム)は神々の支配者であり、バアルはヤム・ナハルの奴隷である」と宣告します。
バアルは憤り、工芸神コシャル・ハシスの作った武器・「撃退(アィヤムル)」と「追放(ヤグルシュ)」を携え、激闘の末ヤム・ナハルを倒します。
その遺体は妻・アスタルテの進言でバラバラにされます。
バアルは神々の王となり、技術・工芸・呪術の神コシャル・ハシスに自分の神殿の建設を命じます。
当初、その神殿には復活したヤム・ナハルの侵入を防ぐため窓を付けないように命じますが、コシャル・ハシスはバアルに「あなたが雲に乗って出かけるには窓が必要」と助言、窓のある神殿が築かれました。
バアルは神殿の完成を祝い、その宴に死の神・モートも招きます。
けれど、モートは「死の神である自分を葡萄酒でもてなす祝宴へ招いた」と激昂。
かつてバアルが倒したロタン(レヴィアタン)と同じにしようと冥界に招きます。
バアルはこれを恐れ、太陽神・シャパシュに助言を求めます。
女神は身代わりを立てるよう助言。
バアルは牝牛との間に身代わりの息子をもうけ、冥界に送ります。
モートは身代わりとは知らずにバアルを飲み込みます。
以後、雨は降らず、妻・アナトはバアルを探し求め、アナトはモートにたどり着きます。
そして、モートがバアルを食い殺したと知りモートを殺してその体をばらばらにします。
これを受けて、バアルは再び王座に復権。
7年後にはモートも復活。
両神は太陽神・シャパシュの説得によって和解します。
(バアル・ゼブル(至高の神)がバアル・ゼブブ(蝿の王)になった) 旧約聖書のバアル
イスラエルのバアル
荒野から移住したイスラエルの民にとって、カナン人は肥沃な土地に住み、豊穣を享受する民。
その宗教や文化はイスラエル人を魅了します。
そしてカナンの豊穣神・バアルの存在はイスラエル宗教にとって脅威となります。
それを危惧するエリヤをはじめとする唯一神ヤハウェを信仰するイスラエルの預言者たちはカナンの信仰と文化を激しく非難。
「列王記」の中で、バアルを信仰する預言者たちと対決するヤハウェ信仰の守護者・エリヤの勝利を語っています。
神はカナンの神々を崇拝するなと警告(申命記14-15)
けれど、バアル崇拝は士師の時代にイスラエルの信仰に侵入(士師記3:7)
そこで、神は預言者エリヤと異教の神々を対決させます。
神は地に3年の間干ばつを与え、神が(バアルではなく)雨を支配していることを示されました。(列王記17:1)
エリヤはバアルの預言者450人とカルメル山に祭壇を築き、それぞれの神に祈りを捧げます。
けれど、バアル神からの応えはなく、エリヤの神、ヤハウェは天から火を降らせるという奇跡で応えます。
人々はひれ伏し、『主こそ神です。主こそ神です。』と祈りを捧げます。
聖書の中のバアル
旧約聖書でのバアルは
ユダヤ教と対立し、「ユダヤ人を誘惑する異教の神」であり「異教徒が崇拝する偽の神」。
それらは「列王記」「民数記」「士師記」「ホセア書」などで言及されています。
「列王記」上18章で、預言者エリヤがバアルの預言者に勝利。
「バアル・ゼブル(古代都市・エクロンの神)」(崇高なるバアル)であったバアルは「バアル・ゼブブ」(蝿のバアル)となってしまいます。
そして実在しないバアル信仰は「偶像礼拝」とされ、悪魔礼拝という扱いを受けます。
旧約聖書のバアリムは、悪霊が神々に成り代わっているものとされます。
新約聖書の中で
マタイの福音書でのイエスは悪魔・ベルゼブルの力を借りて悪霊を追い払っているという嫌疑を持たれています。
グリモワールのバアル
旧約聖書の異教の神・バアルはグリモワールの中で悪魔となって語られます。
悪魔学では七人の大悪魔(七つの大罪)のひとり、暴食の悪魔ベルゼブブ。
(19世紀、フランスの文筆家)コラン・ド・プランシーの『地獄の辞典』でベルゼビュート、「蠅の王」としてあげられています。
(16世紀のドイツの医師)ヨーハン・ヴァイヤーの『悪魔の偽王国』や『ゴエティア』(ソロモンの小さな鍵)の中で筆頭に挙げられている悪魔バエルはバアルの別称とされます。
バアル、現代でも経緯通りの魔神
オープンワールドRPG「原神」のバアル、本名は雷電眞。俗世の七執政の一柱で稲妻幕府の全能の将軍。雷電将軍と呼ばれる雷の魔神。
大災害で死亡した後、双子の妹の影(ベルゼブブ)がその役務を継いでいます。
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『女神転生シリーズ』のバアルはシリーズの中で魔王や邪神ともされる魔神。
共通スキル「カナンの慈雨」は味方全体に敵に与えるダメージと治癒力の増加を発揮させます。
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バアル まとめ
神々も政治的な思惑の中で色々に習合され、
さまざまな神格を与えられたり、昇格したり、降格したり。
降格した神の中でその最たるものがこのバアル神だといえると思います。
ゼブルがゼブブ、
単語ひとつの違いだけで「崇高」が「ハエ」になった、
なんともかわいそすぎる末路です。