日本のむかし話でタヌキといえば、多くの方はまず『かちかち山』を思い浮かべるはず。『かちかち山』のタヌキはおばあさんを殺した悪役ですが、タヌキだってこんな役どころばかりではないのです。
今回ご紹介するのは、日本のむかし話『分福茶釜 (ぶんぶくちゃがま、ぶんぷくちゃがま)』。タヌキが世話になった人間に恩返しをする物語です。
2018年にはミステリー映画にもなった『分福茶釜』、ご覧ください
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目次
「分福茶釜」、化けタヌキがいつのまにか茶釜に
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『分福茶釜』は、茶釜に化けたタヌキが自分を助けてくれた古道具屋に恩返しする物語です。
物語にはさまざまバージョンや結末がありますが、まずは主に絵本などで語られるストーリーを紹介します。
分福茶釜のあらすじ
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寺の和尚さんが古い茶釜を買って寺に持ち帰り、弟子の小僧さんに磨くように命じると、茶釜が「痛いからそっと磨け」と言いました。小僧さんの報告を受けた和尚さんは、お湯を沸かそうと火にかけると、茶釜が「熱い!」と悲鳴を上げたため、気味悪がって古道具屋に譲ってしまいました。
茶釜を家に持って帰った古道具屋は、その茶釜がタヌキが化けたものであることを知ります。タヌキは「化けたまま、元の姿に戻れなくなってしまった。このままでは仲間のもとに帰れない」と言ったため、同情した古道具屋はタヌキが元の姿に戻れるまで家に置いてあげることにしました。
タヌキは恩返しのため、分福茶釜と銘打って茶釜がさまざまな見世物をする見世物小屋を開き、たくさんの銭を稼ぎました。こうして古道具屋は豊かになり、タヌキは恩返しができたという物語です。
バリエーション豊かな分福茶釜
近年では、子ども向けに改変されたりしたため、結末や設定に差異があります。
- 和尚さんが茶釜を譲った相手が古道具屋ではなく、通りがかりの貧しい男やくず鉄売りである。
- 恩返しのために見世物小屋を開いた後、タヌキは病気を患い、茶釜の姿のまま死んでしまう。古道具屋は茶釜を寺に運んで供養したもらい、茶釜は寺の宝となる。
- タヌキは寺の和尚さんに恩があり、古道具屋に引き取られた後、再び古道具屋が寺を訪れると、和尚さんはタヌキとの再会に喜び、タヌキは寺で暮らすようになる。
分福茶釜のモデル
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むかし話としての『分福茶釜』は、前述した通りですが、そのモデルとなった物語は『分福茶釜』とはかなり違っています。
分福茶釜の寺として伝わっている群馬県の茂林寺では、とある茶釜についての伝説があり、江戸時代に松浦静山が執筆した『甲子夜話』では寺のおこりとして紹介されています。
応永年間 (1394~1428年) のこと、茂林寺には守鶴という優秀な僧がいました。
守鶴が愛用していた茶釜は、汲んでも汲んでも湯が尽きない不思議な茶釜であり、僧の集会があった時は、この茶釜を使ってもてなしました。
ある時、昼寝していた守鶴は身体から尻尾が出ていることを小僧に見られてしまい、タヌキであるということがばれてしまいました。守鶴は数千年を生きた化けタヌキであり、インドで釈迦の説法を聞いた後、中国に渡ってやがて日本にやって来たといいます。不思議な茶釜は守鶴の術だったのです。
正体を知られた守鶴は寺を去ることを決意し、別れの際、寺の僧たちに源平の屋島の戦いや釈迦の説法、入滅 (釈迦の最期) の幻影を見せたといいます。
江戸時代中期に書かれた『本朝俗諺志』では、この伝説の後日談が載っています。
守鶴が寺を去った後、寺にある沼に鶴がやって来て住み着くようになりました。鶴は毎日本堂へやって来て、本尊を拝んでいたので、人々は「守鶴が再来したのだ」と噂しました。
ちなみに、『甲子夜話』では室町時代が舞台とされていますが、茂林寺に伝わる話では戦国時代から安土桃山時代になっています。
創作作品ではバリエーション豊かな文福茶釜
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2018年に公開された映画『文福茶釜』では、このむかし話をモチーフに物語が展開していいきます。高価な茶釜を騙し取られた老婆のため、骨董ディーラーたちが犯人を騙すミステリーです。
ゲーム「モンスターストライク」では、イベントクエストとして登場。
イベント名が「踊る黄金の守鶴」であり、むかし話だけでなくモデルとなった伝説も意識していることがうかがえます。
文福茶釜 まとめ
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「化ける」ということや『かちかち山』のイメージなど、日本のむかし話では良い役どころではないタヌキですが、恩には報いる礼儀正しい側面もきちんとあるんですね。
タヌキのイメージ回復のためにも、こういったむかし話や童話が増えてほしいものです。